楽器コラム

Charが演奏中にチューニングして炎上w またリテラシー低い連中が騒いでるなー

「CharがMステで演奏中にチューニングしてた」──そんな何気ないワンシーンが、SNSでちょっとした批判の的になっていた。

正直、それを見たとき、筆者は思わず笑ってしまった。
「いやいや、そこに文句言うの?」と。

もちろん笑いごとで済ませられない部分もある。なぜなら、この現象には今の音楽シーン、そしてSNS社会が抱えるいくつかの問題が、ギュッと詰まっているからだ。

ギタリストとしてのCharの特性。テレビという演奏環境の特殊性。そもそもチューニングってそんなに問題なのか?
そして、もっと根深いのが、“リテラシーの低い連中の意見”がSNSで正義のように拡散される危うさだ。

今回は、その辺りについてしっかり掘り下げてみたい。

Charのギタープレイと“狂いやすい”楽器のリアル

Charが使っていたギターはフェンダー・ストラトキャスター。しかも、いわゆるトラディショナルなスペック。
これに加え、彼の特徴の一つとも言えるアームプレイ。これは音に揺れや変化を加えるのに効果的だが、チューニングの安定性には不利な面がある。特にフローティング設定(ブリッジが浮いた状態)にしている場合、1本の弦だけでなく他の弦にも影響が出る。

つまり、Charのようなプレイヤーにとって、曲中でチューニングを調整するのは極めて自然な行為。むしろ、音に責任を持とうという“職人としての矜持”の表れだ。
それを「ミス」と決めつけるのは、あまりにも音楽リテラシーが低い。

当て振りじゃない。生演奏だからこそ

そして何より見落としてはならないのは、あのステージが“生演奏”だったということ。
テレビでは、CD音源を流しながら、演奏している“ふり”だけをする「当て振り」も珍しくない。だがCharは、当然生演奏を選んだ訳だ。

その証拠が、あのチューニングだ。音が生だからこそ、繊細なズレに対応する必要があった。つまり彼は、リアルをそのままテレビの前の視聴者に届けてくれていた。
それは、音楽に誠実な姿勢であり、ファンにとってはむしろ嬉しい「事件」だったはずだ。

テレビスタジオの“過酷な現場”

テレビ収録の現場は、ライブハウスやホールとはまるで違う。出演者は多く、サウンドチェックも短く、環境はかなり制限されている。
さらに、モニター環境が悪いケースも少なくない。演奏者が聴いている音と、テレビ越しに聴いている我々が感じる音は、まったく異なる。

たとえば自分のギターの音だけが強く聞こえると、実際のチューニングが合っていてもズレているように錯覚することがある。
逆に、全体が混ざりすぎて、自分の音がまったく聞こえない場合もある。ギタリストにとっては「音が見えない」状態に等しい。そんな状況でベストな演奏を求められるのが、テレビのステージだ。

ましてや、テレビへの出演機会が少ないCharにとって、その環境は非常にやりにくいものだったに違いない。慣れたステージとは勝手がまるで違う。

音楽リテラシーとSNSの“音量バグ”

今回の件は、ひとつの象徴的な現象でもある。それは、音楽リテラシーの低さを持った声が、SNSによって過剰に増幅されるという現代的な問題だ。

ギターを知らない、ライブを経験したことがない、テレビの裏側に無知――そうした人の「違和感」が、あっという間に「批判」へと変わり、それが「正義」のような顔をして拡散されてしまう。

これは音楽に限らず、さまざまな分野で起きている。だが、音楽という感性と技術のバランスが問われる世界において、それはとても残酷な現象だ。
本物の演奏家を、見せかけの言葉が打ちのめす。誰も得しない構図が、そこにある。

音の裏にある“選択”を想像してみよう

ファンにとって、テレビでCharの生演奏を観られるというのは、まさにご褒美のような時間だった。
その中で、彼が真剣に音と向き合い、途中でチューニングしながらも弾き続けていた姿に、むしろ「らしさ」を感じた人も多かったのではないか。

音楽は、生き物だ。完璧ではない。だからこそ面白いし、感動がある。
演奏中のチューニング。それを“失敗”と決めつける前に、そこにどんな意図や背景があったのか、少しだけ想像してみてほしい。

「生身の人間」が“ネタ”にされるSNSの怖さ

SNSでCharがチューニングしていたシーンが切り取られ、面白半分に叩かれているのを見て、ふと思ったことがある。

そこにいたのは、音楽と真剣に向き合う“生身の人間”だった。

けれどSNSでは、そういう文脈はどんどん削ぎ落とされていく。
演奏の前後も、彼のキャリアも、スタジオ環境も関係ない。ただ「テレビに映ってたギタリストがチューニングしてた」という一点だけがピックアップされて、「なんかダサくね?」と面白がられる。

怖いのは、それが本当に悪意から来ていないこともあるということ。
何気ないツイート。軽いノリの投稿。それが誰かを傷つけるかもしれないとは、想像すらされていない。
でもその“軽さ”こそが、深い傷になる。

Charクラスのプレイヤーであってもそうだ。
想像してみてほしい。音楽に人生を捧げ、真剣に向き合ってきた一人の人間が、テレビという不安定な環境でも全力で音を届けようとしていた。
その結果が、「変なタイミングでチューニングしてた人」だなんて――それはあまりに酷い話だ。(まぁCharはそんなこと一切気にするような人間ではないのだけれど。)

SNSの中で、いつの間にか私たちは「発信されたもの=キャラクター」としてしか見なくなってしまっていないだろうか?
でも本当はそこに、“呼吸をしている誰か”がいる。
そのことだけは、どうか忘れないでいたい。

ABOUT ME
吉田寛定
新潟在住のギターインストラクター、MBTIはINTP(論理学者) 時々インスタに演奏動画を上げたりしている。 だいたいどんな話を振られてもある程度語れる位常に知識をむさぼって生きています。