「いや〜、ギター上手いね!」
そう言われたこと、あるだろうか。
もしくは、ギター仲間や知人の演奏を聴いて
「え、なんでそんなに上手いの!?」
と驚いたことは?
この両方、実はよくあることだ。
そして、そのどちらのパターンにも共通する“ある事実”がある。
それは──
あなたのギターは、あなたが思っている以上に「上手い」と思われている可能性がある
ということだ。
自分では気づけない“上手さ”がある
ギターを弾いていると、自分の演奏の「粗さ」や「未完成さ」に敏感になる。
ピッキングが甘い、リズムがズレる、ミストーンが気になる……。
しかし、第三者の目線では「粗さ」よりも
全体の雰囲気やニュアンス、音の説得力
が重視されることが多い。
つまり、自分が“気にしている部分”と、他人が“評価してくれている部分”は意外とズレているのだ。
たとえば、
ノーミスではないけどグッとくる演奏
複雑ではないけど味のあるフレーズ
シンプルだけどリズムが心地よいコードストローク
こういった演奏を「うまい!」と感じた経験はないだろうか?
もし他人の演奏に対してそう感じたことがあるなら、同じように、あなたの演奏も誰かを感動させている可能性があるということだ。
過小評価のクセ、ついてませんか?
「いや、自分なんてまだまだ……」
「いやいや、全然上手くないです」
「そんな、お世辞でしょ?」
こんなふうに、自分を謙遜して受け流してしまう人は多い。
もちろん謙虚であることは美徳だが、それが行き過ぎると本来の自分の価値や成長を見失ってしまう。
そもそも、褒めてくれた人が本気で「上手い」と思ったのなら、その感情は紛れもなく“事実”だ。
たとえそれがあなたの感覚からすると「過大評価」に思えても、相手の目にはスーパーギタリストとして映っているのだ。
評価とは、他人の中で生まれる主観的な“リアル”である。
あなたの感覚とは違っていて当然なのだ。
上手い人にもアンチがいる世界
ネットやSNSでは、プロミュージシャンですら「下手」「大したことない」と書かれていたりする。
誰が見てもすごいと思える人でさえ、否定的な意見が必ずある。
つまり、「万人に褒められる」ことは不可能だし、上手いかどうかは常に見る人のフィルター次第だ。
たとえば、あなたが「かっこいい」と思っているギタリストも、
誰かにとっては「好みじゃない」「音が気に入らない」と評価されているかもしれない。
でも、あなたが「好きだ」と感じた気持ちは本物だ。
逆に、あなたを「上手い」と感じた誰かの気持ちも、やっぱり本物。
つまり、評価とはその人の中の“リアル”であり、あなたはすでに誰かの中で“スーパーギタリスト”になっているかもしれないということだ。
その評価に“応えなきゃ”と焦らなくていい
こういう話をすると、「じゃあもっと上手くならなきゃ!」と気負ってしまう人がいる。
たしかに、努力や成長は大切だ。
でも、誰かの期待に“応えよう”とすることで、ギターと向き合うのが辛くなってしまったら本末転倒だ。
ギターは気軽な趣味であっていい。
楽しくて、面白くて、自分のためにやってるものであっていい。
評価はあくまで“副産物”、おまけだ。
それに左右されすぎず、自分のペースで続けていけばいい。
たとえばSNSに演奏動画をアップするのも、「すごい!」と言われることを目的にするより、
「誰かが見てくれて嬉しかったな」
「リアクションがもらえてラッキー」
くらいに思っておくと気がラクになる。
自信がなくてもステージには立てる
「まだ自信ないから…」とステージやSNSから距離を置いている人も多い。
でも、ちょっと視点を変えてみてほしい。
あなたがスーパーギタリストに見えている“誰か”にとっては、あなたの演奏がすでに価値あるものなのだ。
それなら、ステージに立つ資格は十分ある。かも。
プロのように完璧じゃなくてもいい。
感動させられなくてもいい。
「いいな」と思ってくれる人が一人でもいたら、それはもう充分“表現”になっている。
そして、その人の中で、あなたは確かに「スーパーギタリスト」なのだ。
最後に──自分の演奏を信じてみよう
ギターを弾くことは、他人の感情に触れることでもある。
「誰かの心を動かす」という意味で、プロもアマも関係ない。
そしてそれは、あなたが気づかないところで、もうすでに起きているかもしれない。
だから、自分の演奏を過小評価しすぎずに、まずは一歩踏み出してみてほしい。
音源を録音して誰かに聴かせる
SNSに短い演奏を投稿してみる
ライブやセッションに参加してみる
そうすることで、「自分は何者でもない」と思っていた世界から、
「実は誰かの中では特別な存在だった」と気づく日が来る。
あなたが自分をどう思っていようと、誰かにとっては
あなたがスーパーギタリスト
なのだ。
そして、それはすでに“起きている現実”かもしれない。