「音楽は楽しむものだよ」
ギターをやっていれば、誰もが一度は言われたり、目にしたりする言葉だと思う。
確かに正論だし、納得もできる。けど、その言葉に苦しくなる時もある。
弾いても楽しくない。
上達の実感がない。
義務のように練習して、ふと「自分は何をやってるんだろう」と思ってしまう。
そんな風に感じてしまう人に伝えたいことがある。
「楽しむ=楽しい」でなくていい。音楽との関わり方には、もっと柔らかい選択肢がある。
この先を読みながら、自分なりの「音楽の続け方」を見つけてもらえたらうれしい。
「音楽=音を楽しむ」と決めつけない。
「音楽は“音”を“楽しむ”こと」と定義すると、それができていない自分を否定してしまいそうになる。
「楽しくなきゃ音楽じゃない、それ音が苦だよ」なんて言われたら、じゃあ今の自分はもう“音楽をやっていない”のか?と落ち込む。
だからいっそ、音楽の定義を感情から切り離してしまうのもアリだ。
たとえばこう考える。
「音楽は、楽器で音を出す事」
程度にしておけば良い。
楽しいかどうかは問わなくていいし、問われたくない日もある。
楽しいと感じなきゃいけない、という義務感が一番つらい。
感情が乗らない日も、楽器は弾ける。
それだけで「音楽をやってる自分」を肯定できる。
弾いても楽しくない時の正体
音楽が楽しくない──
それは「下手だから」でも「向いてないから」でもない。
成長が実感できていないことに、モヤモヤしているだけだったりする。
ギターは爆発的に上達するものではない。
日々の変化はものすごく地味で、目に見えにくい。
だから、ちょっと停滞しただけで「全然成長してない」と思い込んでしまう。
でも実は、成長の感覚は“技術”以外のところにもある。
成長は“弾くこと”以外にもある
たとえば、最近こんなことに気づいたことはないだろうか?
練習している曲で、ベースの動きが面白いと感じた
ドラムのフィルがグルーヴ感を引き立てていると気づいた
ボーカルのブレスの位置に「なるほど」と思えた
こういう音楽の構造に対する“認知の広がり”も、ちゃんとした成長だ。
自分の演奏だけじゃなく、曲全体の聴こえ方が変わってくる。
つまり、音楽の“解像度”が上がっている。
弾いてないのに耳が育ってる。
それも、ギターを続けてきたからこそ得られる変化だ。
小さな成長を見つけて、味わうこと
ギターは、目に見える進歩が少ない分、“気づき”を意識的に拾いにいくことが大切になる。
たとえばこんなことでも十分:
コードチェンジがちょっとスムーズになった
弦の振動が前より気持ち良く感じた
昨日よりノイズが少なかった気がする
好きな響きのコードに出会えた
進歩の価値は、他人に分かってもらえるかどうかじゃない。
自分が「お?」と気づいた瞬間にこそある。
「深さ」や「納得感」も“楽しさ”のうち
ここまで読んで、「あれ?これって楽しさの一種じゃないの?」と思ったかもしれない。
そう、そのとおり。
“楽しさ”は何も「うわー!最高!」ってテンションのことだけじゃない。
腑に落ちた
奥深さに気づけた
音楽の仕組みに感心した
自分の感性にちょっと誇りを持てた
こういう“納得感”とか“知的好奇心の満足”も、じんわりとした深い楽しさだ。
そう考えると、音楽が楽しくないと思っていたのは、単に表面的な刺激を求めすぎていただけかもしれない。
まとめ:楽しめない日もまた、音楽の一部
「楽しくなきゃ音楽じゃない」は、しんどい時には手放していい
楽器を手に取っただけでも、十分に音楽をやっている
成長は“弾くうまさ”だけじゃなく、“気づき”や“認知の変化”にもある
楽しさは感情だけじゃなく、“深さ”や“広がり”にも宿る
音楽の捉え方を変えるだけで、気持ちが少し軽くなる。
弾きたくない日もある。楽しめない週もある。
でも、音楽が嫌いになったわけじゃない。
「手放さなかった」
「ちょっとでも向き合おうとした」
それだけで、もう十分音楽の中にいる。
Q&A:よくある疑問
Q1. 楽しくないなら、ギターやめた方がいい?
→ いいえ。楽しくない時期は誰にでもあります。無理にポジティブになる必要はありません。
Q2. 上達しないのがしんどいです。
→ 上達は“見えにくい”だけ。認知や感覚の変化も立派な成長です。
Q3. 弾かずに聴いてばかりいる日が続いてます。これって意味ありますか?
→ 十分あります。音楽との接点を持ち続けている時点で、それも立派な“練習の一部”です。
Q4. 自分だけが置いていかれてる気がします。
→ ギターは比べるとしんどくなります。過去の自分と比べて、何かに気づいたなら、それが前進です。
「音楽は楽しむもの」
その言葉の重さに疲れたら、この記事のことを思い出してほしい。
音楽を、もっと自分のペースで。