「AI作曲なんて邪道」──そう思っていないだろうか?
最近、AIが作った楽曲を耳にする機会が増えてきた。
SNSでも「人間の感情がない音楽に価値はあるのか?」といった議論が巻き起こっている。
確かにそう言いたくなる気持ちもわかる。
音楽は感情だ。想いだ。ストーリーだ──という価値観に私も共感している。
けれど、筆者はあえて「AI作曲は是である」と断言したい。
それは、音楽の本質を脅かすものではなく、むしろ音楽の可能性を拡張する技術だからだ。
作曲が「選ばれた人」だけの特権だった時代はもう終わる
これまで作曲は、一部の“才能ある人間”に許された技術とされてきた。
理論を学び、DAWを使いこなし、試行錯誤の末にようやく「曲」と呼べる形になる。
でも興味があっても「どうやって始めたらいいか分からない」と感じていた人も多かったのではないだろうか。
AI作曲ツールは、まさにその“始めたくても始められなかった人”に希望を与える存在だ。
やり方が分からない、理論が分からない、時間がない──
そんな壁を取っ払って、「まずは曲を作ってみる」ことを可能にしてくれた。
作曲できる人なら共感してもらえると思うが、そういう取っ掛かりが大事で
作曲は難しいという固定観念をぶっ壊す事が作曲の第一歩だったりする。
作れるようになることで、改めて“作る価値”が問われている
誰でも曲が作れるようになった。
では、曲の価値は下がるのか? いや、そんなことはない。
むしろ、「自分で作る」ことの意味や、「人間が作る」ことの価値が今まで以上に明確になってきたと感じる。
AIで作曲できるからこそ、
「なぜ自分はこの曲を作りたいのか」
「このメロディにどんな感情を込めたいのか」
といった人間的な動機や背景が、よりクローズアップされるようになった。
「誰が作ったか重視されない音楽」も確かにある
例えば、スーパーの店内BGM、ゲームアプリの効果音、ラジオジングルなど。
これらは「誰が作ったか」よりも、「その場に合っているか」の方が重要だ。
そういう用途では、AIの曲でも何の問題もない。
そして、そこに人間の作曲家が貴重なリソースを割かずに済むなら、むしろ音楽制作全体の効率化にもつながる。
かつてボーカロイドも否定された。でも文化は広がった
ボーカロイドが登場した当初、「機械の声に感情はない」「人間が歌うべき」と否定する声があった。
だが、ふたを開けてみれば“歌い手”文化が育ち、多くのクリエイターがボカロをきっかけに曲作りを始めた。
結果、音楽を作る人・歌う人・聴く人の裾野が広がったのだ。
AI作曲も同じように、音楽文化を先に進める力を持っていると筆者は感じている。
「AIの方がいい曲作るからムカつく」──それ、違う
時々、「AIに自分より良い曲を作られたらどうするんだ」といった意見を目にする。
でもそれは、自分自身の価値を“曲の良し悪し”にだけ預けているから苦しくなるのではないか。
AIは「良い曲」を作れるかもしれない。
でもその曲に動機や人生やストーリーを宿すことはできない。
時間をかけた創作ができるのは、あくまで人間の特権。
リスナーは“誰が作ったか”にも価値を感じている
現代のリスナーは、「ただ良い曲を聴きたい」というだけではなく、
「この人がどんな思いでこの曲を作ったか」という背景や人格に魅力を感じてファンになる。
YouTuberやインディーアーティストにファンがつくのも、その“人”に関心があるからだ。
だからこそ、人間が曲を作る意味はこれからも消えない。
むしろ、AIの台頭によって“人間らしさの重要性”が浮き彫りになるだけだ。
【注意喚起】「作曲者を名乗るのは危険かも?」
■ AI作曲が当たり前になってきた今、「誰の曲か?」があやふやになっている
AI作曲ツールを使えば、数クリックでメロディ・コード・構成まで自動生成される時代。
「自分で作った」と言いたくなる気持ちはわかる。
けれど、その一言がトラブルや炎上、著作権問題につながる可能性もある。
実際に「AIが生成した曲」に対して、人が“作曲者”を名乗っていいのか?という問題は非常にセンシティブだ。
以下、具体的なケースごとに解説していく。
ケース①:プロンプトを打ち込んだだけで、AIの出力をそのまま使用した場合
❌ 基本的に“作曲者”とは名乗れない可能性が高い
プロンプト(指示文)を入力しただけで、メロディ・コード進行・構成すべてAI任せ
自分の手では出力された内容に一切手を加えていない
このような場合、“作曲した”とは言えないと解釈される可能性が高い。
たとえば、画像生成AIに「夕暮れの海を描いて」と指示して出てきた絵を、自分の“画家作品”として発表するようなものだ。
● 法的にはどうなる?
現状、日本ではAIが作った作品には著作権が発生しない(=無主物)とされる
したがって、そのまま商用利用は可能だが、「自分が作曲した」と主張するのはグレー
さらに、AIが参考にした元データが他人の著作物だった場合、類似曲問題に発展するリスクもある
● SNS・YouTubeでも注意
「作曲しました」とタイトルに書いた場合、炎上や批判の的になる可能性あり
特にプロ活動を視野に入れている場合は、“虚偽の経歴”と受け取られる恐れもある
ケース②:AIの出力をベースに、手直し・編集を加えた場合
✅ 編集の度合いによっては「作曲した」と言えることもある
メロディの譜割りを変えた
コード進行を差し替えた
展開(構成)を再構築した
アレンジだけでなく、音楽的な判断を加えている
このような編集を行った場合は、「AI支援を受けた共同作業」として、一定の“作曲性”が認められる可能性がある。
● ただし“どこからが自作か”の線引きは曖昧
単なる置き換え程度では「改変」にすぎず、“作曲者”と呼ぶには弱い
ゼロから思考して組み立てたかどうかがひとつの判断基準になる
道義的には、「AIを使いました」と明記したほうが誠実なのが現状。
加工食品の原材料名に添加物を明記するような感覚が求められている。
AIを使って曲を作るなら、名乗り方に注意しよう
作業内容 | 作曲者を名乗れる? | 注意点 |
---|---|---|
プロンプトだけ → 完全自動生成 | X 原則NG | 虚偽表示と取られる可能性大/信用問題にも |
軽微な修正(テンポ・楽器など) | △ 非推奨 | 作曲とは言いにくい/“アレンジ”扱い |
メロ・コード・構成を手直し | ◯ 条件付きOK | “AIアシストで作曲”と明記を推奨 |
AIを参考にしつつ自分で構築 | ◎ 問題なし | AI使用を伏せる必要もなし(堂々と!) |
AI作曲時代の“名乗り方ガイド”
AI作曲をしたら「AI作曲」と明記しよう。
完全自動生成なら、「使用した」「生成した」と表現を選ぶ
手直しした場合も、“一部AIで補助”とする方がトラブルになりにくい
商用利用やクレジット表記では、作曲(AI)/編集(あなた)などの分離表記が安全
筆者としては、AI作曲自体は肯定するが、
その成果物の“クレジットの扱い”については、慎重さが必要な時代になってきたと感じている。
「盛った表現」は信頼を失うもと。
AI時代の音楽家には、作品と向き合う倫理観こそが“センス”のひとつとして求められてくるかもしれない。
AI作曲は音楽を殺すのではなく、広げる存在
AI作曲によって音楽が壊されるのではないか、と恐れる声もある。
だが筆者は、むしろ創作を拡張し、民主化し、再定義するチャンスだと思っている。
・あきらめていた人が曲を作れるようになった
・誰が作るかがより問われる時代に突入した
・人間が作ることの意味が、逆に明確になった
AIは敵ではない。
音楽を作る手段として、うまく付き合っていけばいい。